遙か5夢

慎太郎とその妻
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春小波







不穏な動き、各藩を始め勢力が思惑渦巻く江戸も随分と終わりが見えてきたと先読人は思う。
長きに渡り平安を築き上げた―――はずであった、葵の望月はとうとう欠けが深まり、ひび割れて朽ちるのかもしれないとさえ思った。
大黒柱のないこの国はどこへ向かおうとしているのか、その道筋は未だ確定せぬままに、小力奮う権力者の狙い目ばかりがぎらぎらと脂ぎっては水面を汚していく。
憂うのみの国民の言葉は無責任で、不透明な情勢への不満や不安は募りに募る。悲しいかな、それが今の日ノ本の真実なのだと慎太郎は思った。

己が手で世を変えるだなどと、そこまでの器量を持たぬというくらいの目はある。
けれどもどうにかこの国に平安の風を流すため、穴を空ける位の腕はあろうと自負もしていた。
―――そして今も、祝言の日の誓いを忘れてはいない。国を憂いて改善を求め、未来の愛し人へ桃源郷を捧げる。その為であれば慎太郎は千里の道も駆けて行ける気がしていた。


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家を継ぎ、リンを妻に迎えてから今日まで慎太郎はそれは誠実に仕事をこなし、休まず領の為に尽くしてきた。
その甲斐あってか領地内は徐々に安定を手に入れ、災害にまみれていた頃と比較すれば、それにならぬ程に平穏な時が流れ始めている。
故に庄屋業務に時間をさほど取られることもなくなった事から、幾らかの業務を妻へと託し、ここの所の慎太郎は龍馬と共に過ごすことが多くなっていたのであった。
慎太郎は安芸北川、龍馬は土佐―――もとい日ノ本各地…を拠点に、日ノ本の行く末を見据えて行動を開始していたのである。


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それは文久元年、慎太郎とリンが夫婦となった次の年の事であった。
慎太郎が家督を継ぐ前、江戸にて剣術修行に明け暮れていた頃の道場の志である武市半平太が尊王攘夷の思想を掲げた“土佐勤王党”を立ち上げた事より話は始まる。
それはこの国の夜明けへの第一歩であると同時に、慎太郎の苦悩の日々の始まりでもあった。


この日、慎太郎は土佐にあった。
幾日か前から友人である龍馬が土佐に戻っているとの話を聞き付けたからである。
なるべく早く戻るから、と妻と庄屋仕事を残しての土佐滞在は既に予定の二日を越えて三日目に突入してしまった。
心配性で、人一倍強がりな妻の様子が気になり、何度文でも出そうかと思ったほどであったが、そもそも土佐と北川の村は然程離れていない上に、たかだか一日予定が遅れているだけなのである。

文を書くべく立ち上がっては諌め、座り直し、しかめっ面。この一連の流れを繰り返して何度目であろうか。
今日こそは戻るという宿馴染みの言葉を信じて朝から宿部屋に居座っているわけだが、肝心の友人は未だに姿を見せる気配はなかった。
こうも無駄な時間があるとどうしても思い返してしまうのは妻の事である。
ぐつぐつと煮詰まる思考に水を差すべく、慎太郎は窓を開け放って遠くの景色を見つめていた。
宿から見えるは鷲尾の山か、山脈の合間に見える広大な太平洋と、その左、海岸沿いをなぞる様に見つめれば、遠く遠くに安芸の山が見えるように感じる。


「…もう春が来るのか」


一年。ほんの少し前まで畑には霜が下り、都に積もる雪の話を聞いたばかりのように思われたが、もう里には春の風が流れ始めている。
妻と過ごす時間は驚くほどゆったりと流れているようで、目まぐるしく変わるばかりの四季の光景を、まるで歳時記を記すかのように噛みしめていたのだと離れてみて初めて気付く。
夏の日には西瓜を、寝間着にと新しい浴衣を仕立ててやれば、そんな贅沢は、と窘められた事もあった。
秋の日には四番茶を、七輪で焼いた秋刀魚を焦がす妻をからかい倒した詫びにと、手を繋ぎ柴栗を摘みに行った晴れた日や、冬の日にと新たに綿を詰めたどてらを差し出せば、夏と同じく窘められたりと、どの季節を巡っても慎太郎の記憶にはいつだってリンがいた。
こころ通わず泣かせ続けた春の祝言から、一年。鷲尾の山にも、目を凝らせば見える枝先の膨れた蕾がその証であった。


「………」


慎太郎は苦悩していた。思わず春の景色から目を逸らして、部屋の畳へ視線を置く。
長く変えられていないか、褪せた井草の色は旬を感じさせることなく、興も覚めかねないそれが今の慎太郎にはちょうど良かった。

――心を盗まれ過ぎたか。そんな言葉で誤魔化せども本質を変えられることはない。慎太郎はよく分かっていた。
幼少の頃より人に恵まれていたのが運命であったか、慎太郎は早くからこの国の行く末について深く考え、己が意志を固めるようになっていた。

江戸へ渡り剣術を学ぶ傍ら、土佐の国での知己を訪ねては学問、武術以外にも思想を始め、この国の成り立ち、海外の情勢などありとあらゆる知識を得ていたし、慎太郎自身もそれをとても有意義に感じていたものだ。
民なくして国ならず―――教えであったか定かではないが、胸に抱いた信念は根深く、その考えの元生きていく中で、情勢に身を委ね流される選択肢を選べられる程、慎太郎は他人主義な男ではなかった。
何より、幼き日、藪の中の幼子を見た瞬間に感じたその信念に、そして祝言にて誓った誠に背を向ける事など考えられない。
その真面目なまでに真面目な性質は、もはや愚かと指しても仕方がないと自分でも思う。それほどまでに捨てられぬものが増えてしまった。


目を閉じ、思い浮かべる光景は幼き日の学びの日。いつかは北川を出てこの世を動かす志士の一人として立ち回る―――その為の日々であったはずなのに。
ここに来て歩みが弱まるその枷を、果たして枷と呼ぶのはあまりに無情だと、分かってはいる。
幼き日を通り過ぎ、今も手を伸ばせば愛しい妻の肩がそこにあるような気がしている。初めて掻き抱いた時、折れそうだった細身もその肩も、今では女性らしい丸みを帯びる程にまで回復している。
それでもまだまだ華奢な、その小さな体を叶うならば今ここでさえも、抱き寄せたいと願うのだ。一時も、離したくないと心が泣いている。


「(国を開く事があなたを幸せにする事であるというのに…俺は先を進む事をこんなにも躊躇う)」


心を盗まれ過ぎたのだ。妻を想って生きているだけの間は、この自分の行動の先にあなたの笑顔があればいいと願うだけで進むことが出来た。思いさえあればそれでよかったのに。
今ではどうだろう、笑顔一つ、泣き顔一つ逃したくないと全て己が眼で捉えたいと願ってしまう。


「(離れたくない)」


なんと女々しい姿であろうか、慎太郎は自分の心持ちを吐き捨て笑った。長州の久坂あたりが聞いたらば恐らく存分に笑ったであろうし、その知己の高杉に知れたらどれだけ笑いものにされるかたまったものではない。
高杉は己が信念に一直線の狂気じみた人物だと聞く。けれど、今はその強すぎる信念が羨ましいとさえ思った。
自分は愛する人を想いながら、その手を離し、進む事を恐れているのだから。

深く吐き出した吐息が、思考の一端、終焉であった。再度窓の外の海を眺めれば春の海はほどよく穏やかで、慎太郎の心の葛藤など知らんと言わんばかりにそっけない。
広大な海にはかように小さな悩みなど存在しないと言われているようで、慎太郎はまた、嗤った。


「慎太郎、すまん!遅くなった!」
「龍馬さん」


合図なく襖を開けて飛び込んでくる旋風。髪を乱し服を乱し、どうやら相当急いで駆け付けて来たらしい。

事実予定の日から一日時間が過ぎているのだ、そのくらいは当然だろうと慎太郎がため息を吐き出したところ、旋風―――坂本龍馬は大げさに手を合わせて謝罪を始めるのだ。
何を大げさにと告げたところ、龍馬は締まりのない顔で理由を述べる。“お前をあんまり引きとめては北川に残してきたお嬢が悲しむからな”と。
祝言の日に飛び出したあの一連を指しているのだろうがどうにも半笑いの顔で言われても説得力はない。面白がらないでください、あんたも共犯の一味だ。そう告げれば急に大人しくなるものだから龍馬という人間は本当によく分からない。慎太郎はそう思った。


「それで龍馬さん、今日来てもらった件なんだが」
「ああ、そうだな。勤王党の件だったよな」
「―――ええ」


ああ、重い。志士への一歩の重力に逆らう言葉は、ぽつりぽつり、歯切れ悪く口から漏れていった。


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